過激派と反核・反原発

学生運動というと団塊の世代の話のイメージだが、20世紀終盤になっても学生運動の残党は各大学に残っていた。
革マル派、中核派、開放派、それぞれ拠点となる大学を分けて、アジビラや立看板やゲバ棒やヘルメットを武器に地道に活動していた。
過激派を駆逐したい警察当局と、大学の施設を占拠されていることを良く思っていない大学当局が手を結び、彼らが大学を追い出されたのは21世紀に入ってからのことであると認識している。

各派の主張の違いは良く知らないが、90年代後半になっても様々な時流の話題を「日帝」「米帝」なんて言葉と結びつけて徹底的に糾弾していた。

彼らの主張は一貫している。反戦、民主主義、これに尽きる。
その為、敵は軍事行動と勝手な政策を押し付ける政府であった。
日米首脳会談があるといえば糾弾し、防衛予算が増えるといえば糾弾する。
とにかく自民党政権のやることなすこと糾弾していた。
成田空港の強制収用に対する恨みはいつまでも忘れず、砒素ミルク事件への補償が不十分だった森永製品は決して購入しなかった。

そんな彼らの主張・行動のひとつの大きな軸に反核、反原発があったことは10年以上経過した今でもはっきり覚えている。
原発を建設するといえば糾弾し、事故が起これば声高に批判する。
核燃料の再処理施設を六ヶ所村に作るといえば反対運動を起こし、地元への利益誘導に協力して工場を建設したサントリー製品に対しては不買運動を起こす。
とにかく主張は一貫しており、徹底しているように見えた。

時は流れて。2011年3月を境に原発に対する世間の意識は急激に変化した。
事故を起こした福島第一だけではなく、稼働中の原子力発電所は次々に停止。
2012年5月には日本国内で稼働中の原発が1台もないというまさかの事態になった。
20年ぐらい前、日本の電力は水力・火力・そして原子力でバランスよく発電しており、原子力発電の比率は3割程度と学校で教わった。
その3割が停止するなんて、まさかの事態といわず何と言おう。

原発は危険。
ずっと以前から過激派の主張していた事が、今では世論の大勢になっている。

では過激派の主張は当時世間になぜ受け入れられなかったのか。
理由は建設的な議論なしに端からはただ批判するだけにしか見えなかったからだと思っている。

2012年の現在、反原発、脱原発を主張している世論はどうか。
一貫性はあるのか。建設的な話はできているのか。
ただ不安だから反対しているようにしか見えはしないか。
まるで駄々をこねている子供のように。

原子力発電が日本の電力の3分の1を担っていたとしよう。
手元に資料はないので正確ではないが、ある程度の割合の電力を担っていたのは確かであろう。
その重要なエネルギー源を止められるだけの代替策を明示せずにただ闇雲に廃炉を叫ぶだけでは、議論は前に進まないのではないか。
原子力に代わる電力源を用意することはできるのか。

現代社会は電力なしには成り立たない。電力依存社会といっていい。
現実から目を背けずに、何が出来るのか、何をするべきなのか、深く考えている様子もなしに脱原発を主張する人間を私は軽蔑する。


いろいろ考えて、私はこの夏を迎える前に自宅に太陽光発電装置を設置することにした。
車を買うよりも大きなローンを組むことになってしまったが、元が取れるかどうかなんてまるで計算していない。
私に「今」出来ることは何か、考えた末で出した結論だから後悔はしない。

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