あの地震から1年

2011年3月11日14時46分。
私は仕事の打ち合わせ先へ移動のために乗っていた電車の中にいた。
電車を寝過ごさずに降りていたら、バスに乗り換えていたはずの時間だった。
ホームの手前で急停車する電車、強い地震を検知しましたという車掌のアナウンス、停電で消える照明、そして大きく揺れる車両。
しばらく揺れ続けていた車内の状況は、1年経ってもよく覚えている。
会社へも自宅にも実家にも電話がつながらない状況、公衆電話の行列、コンビニから消える物資。
ようやく連絡がついた家族から聞く、自宅の家具の倒壊状況。
そこからバスと電車と徒歩で家に帰りついた時には翌12日の2時をとうに回っていた。

大規模災害が起きたときには企業は社員を帰宅させずに社内に待機させるようにしろ、と都庁が言い出した。
帰宅難民の安全確保だとか緊急車両の通り道の確保だとか、もっともな理由に聞こえる。
だが、自宅がめちゃくちゃになっている、心細いから少しでも早く帰ってきてほしいという家族の声を聞いたら、帰宅許可が出るまでその場に待機していろなんて命令は無視して一刻も早く家族の元に帰りたいと思うものではないか。
去年の3月11日、仕事用の手提げかばんを手に持ったまま革靴で何キロも歩いたが、疲れたから途中で休みたいとは一度も思わなかった。空腹すら感じなかった。
それだけ緊張状態にあったのかもしれないが、非常時の感覚とはそういうものではないか。
帰宅難民の安全をどう確保するかという検討よりも、帰宅難民の足をどう確保するか、という検討をするべきだと思う。困難な課題であることは承知の上で。

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